フィクションなどから拾う情報処理用語 その23 情報漏洩 (ノンフィクション)

これは実話である。
ただ前世紀の話なので記憶違いがあるかもしれない。
だから実話を元にしたフィクションになるかもしれない。

さて本題に入ろう。
1992(平成4)年4月26日(だったと思う)。
私はNHK放送センターのあるスタジオにいた。
収録されたのは「ファイト!」という当時土曜日の23:00 - 23:45に放送されていた番組。
当時所属していた東京工業大学鉄道研究部が慶應大学鉄道研究部と「対戦」することになったのである。
なんで我々が? どうやって対戦? 謎は多かったが「対戦」することになったので仕方がない。
主要なメンバーが選抜されたが、私はその中には入ってはおらず、まあ足軽のような立場であった。当時は既に大学院に進んでいたので隠居の身である…と言いながら4年生もM2もOBも主要なメンバーにいたが。

司会はルー大柴とちはる。コメンテーターは秋山仁離散数学の大御所だが見た目は長髪のおかしなおじさんであった。ゲストは鉄道趣味の重鎮種村直樹、鉄道のことなど何も知らず、芸名をつける時にビートたけしから「(普段から東と呼ばれていたので)そのまんま、東でいいよ。」と言われたのをラッシャー板前が「そのまんま東」とメモしてしまったためにそれが芸名になってしまった、後の東国原英夫、そして後に緒方孝市に見そめられて結婚して広島のローカルタレントになった中條かな子、後の緒方かな子である。

45分番組にしては収録時間が長かった…と思った。私がVTRに映されたのは最初の両者入場のところと後のクイズコーナーで(だったと思う)観客席がチラっと映った時のみである。45分のうち私が映ったのは高々1分であろう。よく観ないと気づかないはずだ。名前も出なかった。

収録は無事に終わったが、私はこれを口外しなかった。
今もそうだが私は単独行動が好きだったので高校時代の友人とも疎遠にしていた。
だから私がテレビに出た事は誰も知らないはずであった。

1992(平成4)年5月2日に番組は放送された。
何故か視聴率は高かったらしい。

だが私のテレビ出演は思わぬところからバレる事となる。
まず大学の研究室にバレていた。
主要メンバーが私の後輩と知り合いでペラペラ喋っていたのである!
あちゃー。ゼミで恩師も交えて上映会が開かれる羽目に陥った。
まあ仕方がない。これで済んだだろう、と私は思っていた。

しかしそれだけではなかった。
それから四半世紀以上経って Facebook で高校時代の友人と繋がった時、こう言われた。

あなたはテレビに出たんだってねえ。

え!?
しっかりバレていたのである。

2カット(3カットかなあ)しか映らなかったのにも関わらず仲間内では噂になっていたのである。

うーむ、恐ろしい。それにしてもよくわかったなあ。

そしてこの番組は資料映像としてしっかり残されているそうである。
ということは出演者の誰かに何かがあった時に御開帳される可能性が高い。
いくら私自身が努力(?)しても思わぬところから情報は漏洩するのである。
行動は慎重に慎重に行うべきなのである。

でもこれをネタにできたのだから塞翁が馬であろう。小堺一機さんも関根勤さんも自分の失敗談をコサキンで笑いに昇華させていたしね。ご開帳してしまえば恐い事なんてナーンにもないのだよ。 

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