フィクションなどから拾う情報処理用語? その45 フィルタリング (超電子バイオマン)

今回取り上げるネタは厳密には超電子バイオマンというよりは出演者の田中澄子さんに関するものである。私はまさに大人の事情で小学校高学年になると所謂子供向け番組を観せてもらえなくなってしまった。私としては当時放送されていたそういう番組のほとんどがイマイチだった印象があったため、受け入れてもいいかなあと思って安直に受け入れたのだが、それでも電子戦隊デンジマンだけは本放送で観たかったなあと強く思った。そして成長した後、その時に使われた理屈の欺瞞(また大袈裟な)に気づき、後から見始めたのだが、それは先の話。時空戦士スピルバンを観たりしたのだが、やはり子供心(それもギリギリ)に宇宙刑事ギャバンよりは疲れてきているなあと察してしまったのだから、やはり私は捻くれている。ただ当時の上原正三さんが疲れていたのは確かな気がするのだ。それが証拠に、その次に担当した仮面ライダーBLACKでは上原正三さんは途中降板しているのである。

さて今回は欺瞞に気づく前の話だ。それでも私はまさに隙を突いて子供向け番組を観ていたのだが、超電子バイオマンはなんと第13話「ジュンよ」(脚本:曽田博久、監督:堀長文、アクション監督:山岡淳二 (C) 東映東映エージェンシー)だけを観ているのである。全く事前情報やら裏情報やらなしで観たのだが、先輩の真田広之さんが後輩の田中澄子さんと共演するというのはやはりすごかった。まあ当時の私は澄川真琴さんが真田広之さんに憧れてJACに入団したことなど知るわけがないのだが、澄川真琴さんが憧れるのも無理はなく、当時の私もスターだと思っていた。その人が出たのである。それだけで歴史である。もちろん、田中澄子さんの姿もしっかり焼きついた。その上で超人機メタルダーにも出た話を観たのである。その後、田中澄子さんが結婚して引退した事は確か雑誌で知ったのだと思う。

それから40年弱(恐ろしいことにそれくらいなのだ)経ったある日、私は鈴木武幸プロデューサーの著書「夢を追い続ける男」を買った。最初は紙の本を買ったのだが、後に電子書籍版も買って読んだ。彼の担当した番組の中には私が実際に観たものが多々あり、非常に感謝すると同時に知らなくても良かったなあと思う情報まで載っていた。で当然、超電子バイオマンについても言及されており、彼の父の葬儀中に起きた重大事件にも触れられているのだが、それ自体はまた別の機会に語ることになるかもしれないなあと先ほど気がついたのだが、田中澄子さんや真田広之さんが出た話の裏話を否応なく知ってしまったのである。それが下記の話である。

でもその後がまた大変で、次のイエローフォー役の女の子をすぐに選ばなければ間に合いません。猶予はないのでJACのなかから選ばせていただき矢島さんの後輩である田中澄子さんを起用することにしました。アーチェリーの選手という設定で、2代目イエローフォー、矢吹ジュンを演じてもらったのです。ところが彼女、生まれてこのかた化粧などしたことがないと言い出すので驚いてしまいました。いくらアクション俳優を目指していても化粧くらいしたことがあるだろうと聞き返したのですが、本当にないと言うので、私は仕方なく銀座の山野愛子美容室に連れていって化粧を教えてやってくれと頼んで、メイクし終わって撮った写真を各社に配ってイエローフォーの交代を知らせたのです。
それだけでは交代劇にならないので、矢吹ジュンの先輩役として真田広之さんにゲスト出演のお願いをしました。もちろん真田さんは当時から売れっ子でしたが、今回のことでこちらに迷惑をかけることとなったJACさんとしては断れませんでした。こうして1話だけですが真田さんの出演がかないました。やはり彼が出演することは話題になりましたし、一際目立つ存在となりました。感心したのは撮影現場に誰よりも早く来るのが真田さんで、そんなに早く来なくてもいいですよとこちらが恐縮するほど礼儀正しく、さすがJACのトップスターだと頭が下がる思いがしたものです。
始まったばかりの第10話でヒロインをチェンジするということは前例もなく、不安も大きかった。それに初の女性戦士2人という設定に傷をつけたくなかったのです。

そうか。田中澄子さんはお化粧ができなかったのか。まあアクション一筋だったら、そういう人がいてもおかしくはないし、私の女友達も当時はお化粧なんてしなかったし、それにメイクは担当者がいるのではないかなあと思ったのだが、どうしてもその情報が頭の片隅に残ってしまったのだ。

その後、諸事情で超人機メタルダー 第25話「とびだせ! ジャック電撃応援団」と超人機メタルダー 第26話「ぶっちぎり! 炎のジャック野郎」(両方とも脚本:高久進、監督:三ツ村鐵治、アクション監督:西本良治郎)を観た。田中澄子さんは澄川真琴さんと共に出演しているのだが、鈴木武幸プロデューサーの著書を読んだ後だと、どうしても田中澄子さんのお顔に目がいってしまい、どうしても邪念が入り、鈴木武幸プロデューサーの著書に書かれていることを思い出してしまうのである。うーむ、困ったなあ。どうしてもフィルタリングして邪念が入ってしまうのである。

まあそれは誰の責任でもないと思う。女性はお化粧するものという固定観念鈴木武幸プロデューサーにあったのは事実だろうし、田中澄子さんもお化粧に興味がなかったのも事実だっただろう。まあ私はお化粧してようがしてまいがどうでも良いし、田中澄子さんがその後幸せ(だろうと思います)に暮らしていることも知っている。それに本を買ってしまった私にも責任がある。はっきり言ってどうでも良いのだが、ただこの困惑をどうすれば良いのか、今も困惑している。書かなくても良かったんじゃないかなあと思うのは否定しない。でこの記事も書かなくて良かったんじゃないかなあと思う人がいるのも否定しない。でも書きたくなる気持ちも理解できるんですよねえ、現に私も書いてしまったし。