同一性(必殺仕置屋稼業)

必殺仕置屋稼業 第12話「一筆啓上 魔性が見えた」(脚本:安倍徹郎、監督:蔵原惟繕 (C) 松竹)より

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第12話 一筆啓上魔性が見えた 1975.9.19

 市松メインの一話。凶盗が入って皆殺しの現場に行き合わせ恨みを託されるのも、いち早く盗っ人のアタリをつけるのも、仕置が動き出す前に襲ってきた盗っ人一味をさくっと始末し、残った盗っ人の頭の女房を密かに送るのも市松。
彼が送った女は、三島宿での幼馴染。彼女は父が盗っ人だったことを同じく盗っ人の夫に聞かされた経緯を持つ。幼い市松もまた父が殺し屋と知らず、三島のあいまい宿に連れられて来ていたのだった。

 ロケ地、願掛けのおるいに声をかける市松、金戒光明寺三門。話しながら歩く、本堂大屋根をバックの大胆な絵柄。
*事後、市松が殺した男を埋め、夫の始末を明るく聞く女。問わず語りに女が話した父の後妻を殺ったこと、そして行灯にたかる蛾を鮮やかに刺す女を見た市松は、閨で静かに女を送る。

脚本を書いたのが安倍徹郎なので何だか重苦しい話だ。もしかしたら必殺仕掛人の「地獄花」みたいに英文学に元ネタがあるのかもしれないが、私にはよくわからない。ただ話の構成は英文学を参考にしているのだろう。なお「地獄花」の元ネタはオー・ヘンリーの『賢者の贈り物』だそうだ。たしかに根っこはそうなのかもしれないが、かなり改変した印象が残る。

さて本編。冒頭、市松は強盗が入って凶行が行なわれた現場に行き合わせてしまい、虫の息の被害者から恨みを託されてしまった。この導入部分から一気に引き込まれてしまった。話を聞いた市松はいつもの釜場で皆に相談。皆、その恨みを引き受けることで意見が一致し、仕置屋が始動する。

その後の調査で銀次(岸田森)率いる盗賊一味の仕業と判明。銀次の妻がおるい(中川梨絵)だったが子供の頃に市松はおるいと三島で出会った過去があった。市松は父親(沖雅也)に連れられて三島へ行ったのだが、父が三島へ行ったのは殺しのためだった。幼かった市松はるいと出会った頃はその事を当然知らなかったに違いない。るいも当時は父親が盗賊だとは知らず、銀次からその事を聞かされたのだと言う。ここで市松とるいは共感してしまう。

その頃、銀次は図面師のろく(近藤宏)からある大店の図面を得て盗みを働くべく動いていた。市松はおるいの頼みもあり、主水や印玄とともに銀次一味を始末した。この時、市松は竹串を2本使って銀次を始末している。まず1本目で右目を刺して怯ませた後、2本目で首を刺すのだ。

だが話はこれで終わりにはならない。市松が銀次を始末した後、市松におるいは話し始めた。

おるい「あの二人(仕置を始動する前におるいと市松に襲いかかり行きがかりで市松が殺した銀次の部下のこと)は埋めといたわ。慣れてるんだ、こんなこと。」

衝撃を受けた市松。寝る市松におるいは話し始めた。

おるい「知ってたのよ、あたしは。乾屋であんたに問い詰められた時、そうだ、市さんも世の中の暗がりで生きている人間だって。市さん、あたしとおんなじなんだって。そう感じたわ。三島の旅籠に泊まっていた人はみんなそうなのよ。あんただって、あんたのおとっつぁんだって。でもすごかったわ。あの二人を殺した時、あたし、ゾクゾクっとした。あんなこと、他の人にはできないわ、市さんだけよ。人殺しは随分観てきたけど、あんなすごい殺し屋は初めてだった。」

おるいは市松が「あの二人」を殺した場面を回想していた。

おるい「よかった。市さんに会えてよかった。」

市松は目を閉じていた。市松はおるいと三島で遊んだ頃を思い出していたようだ。そして目を開けた市松は尋ねた。

市松「三島へは帰らないのか?」
おるい「え?」
市松「お前さんには生まれ故郷がある。三島に帰った方が良い。」
おるい「嫌だ。あたしは帰らない。」
市松「何故?」
おるい「三島でね、人を殺したんだもの。」

おるいは市松の懐から竹串を取り出した。驚いた市松は起き上がった。

市松「お前が?」
おるい「おとっつぁんの後添えの女をね、殺してやったんだ。だから三島へは帰れない。あたしだって、女の一人くらい殺せますよ。」

というやいなや、行燈の中に入った蛾をおるいは竹串で刺してしまった。そしてこんなことまで言い出した。

おるい「(もたれかかりながら)市さん、あたしと組んで仕事をしよう。あいつ(銀次)の残したお金だってあるしさあ。三島に行きゃあ、おとっつぁんの手下だって集まってくれるよ。いつまでもさあ、人に使われている殺し屋なんて…」

そしておるいは子供の頃から市松が好きだったと告白。これに恐怖したのか市松はおるいとの情事の最中、おるいの頭を右手で撫でながら、左手で蛾を刺した竹串を引き抜いて、そのままおるいの首に刺してしまった。そしておるいは絶命したのであった。市松はおるいに自分との同一性も感じたに違いない。

安倍徹郎の重苦しい作風は次の「一筆啓上業苦が見えた」でも次作の必殺仕業人でも炸裂するのであった。ただ新・必殺仕置人の「男狩無用」も安倍徹郎が脚本を書いているんだよねえ。市松と念仏の鉄だと情事の最中の殺しも意味合いが変わってくるのが面白いところだねえ。