東北関東大震災被災記

本来、今頃は「九州新幹線乗車記〜鉄道完乗タイトル保持は面倒臭いよ」という内容を載せる予定でした。しかし、2011年3月11日(金)に起きた地震のために予定が大幅に変わってしまいました。今回はこの地震で私が体験したことを書きましょう。


あの地震が起きた時、私は会社のリフレッシュルームにおりました。ものすごい揺れで私は頭を守るためテーブルの下に潜りました。室内の自動販売機まで揺れるほど大きな揺れ。今まで体験したこともない揺れだったので私は死も覚悟しました。まあなんとか揺れは収まり、テレビをつけてNHK総合に合わせると三陸沖が震源だったことがわかりましたが、大津波警報やら津波の高さが6m以上というのが非常に気になりました。その日は会社の仕事が終わったらサンライズで岡山へ行き、そこから九州まで行く予定でした。


会社では業務に支障がなければ早く帰るようにとの指示が出ましたが、鉄道はすべて止まっている状態。仕事が終わって飯田橋駅へ行ってみれば、改札は封鎖されており、外では人が溢れています。そこでみどりの窓口へ回り、切符をすべて払い戻してもらいました。地下鉄の駅構内にはブルーシートがしかれ、帰宅難民の簡易避難所になっていました。道路は車や人で溢れ、インターネットカフェも大混雑。夕食を食べてから会社に戻りました。


会社では地震対策本部が設けられていたようで、部長や社長が社員の安否確認を行なっていました。リフレッシュルームではテレビがつけっぱなしになり、何人もの人が観ています。メールでも交通情報が何度も流されました。そうこうしているうちに私鉄各線や地下鉄も復旧。会社の人も何人か帰って行きました。しかし、JR東日本は早々と3/11中の復旧はないと宣言しているため、私は自宅に帰ることさえできません。東武も西武も止まっているので近くへ行くことさえできません。私は電車が動くのを待ちました。そのうち、東京地下鉄西武鉄道終夜運転を行なっているとの情報が入ってきました。私は3:00頃に会社を出ました。


まず九段下駅へ行きました。裏通りは閑散としていましたが靖国通りは自動車で渋滞。東京地下鉄東西線大手町駅へ行きました。東西線車内はさほど混雑していませんでした。そこから東京駅まで歩きました。東京駅に着いてみれば、この時間だというのに大勢の人がいました。改札は無料開放されており、構内への出入りは自由に出来る状態です。駅員に電車がいつ動くのかと聞いてみましたが、全然要領を得ません。東海道新幹線は動くのかと訊いてみると、八重洲口へ回ってJR東海に訊け、との答え。JR東日本の官僚的体質がよくわかる答えでした。この答えを聞いて私は九州行を諦め、コインロッカーに預けていた荷物を取り出し、大手町駅へ戻り、東西線高田馬場駅へ行きました。


高田馬場駅ではJR東日本が改札を封鎖。同じJR東日本でも駅によって対応が全く違います。私は西武新宿線の駅に入りました。まず新所沢行の各駅停車が来ましたが、満員だったので見送り。次に来た準急新所沢行に乗りました。こちらは空席が目立ちました。というわけで新所沢までは座って移動できました。新所沢駅本川越行に乗り換えるとこちらは満員でした。仕方なく立って移動しました。ところが南大塚駅の手前で止まってしまいました。緊急地震速報が入った関係です。神奈川県で地震があったというのです。ところが、これは誤報 (-_-# しばらくして電車は動き始めました。


本川越から川越駅まで移動し、上尾駅行の東武バスに乗車。川越駅を出た時点で満員でした。川越駅まで移動して正解でした。本川越でさらに人が乗り込み、さらに混雑しました。道路は空いており、7時44分頃、無事に自宅に到着しました。


とまあ、簡単に書きました。東京で働いている人の中には川崎や横浜まで歩いた人もいたようです。幸い私はそういう体験はしませんでしたが、東京直下で地震が起きたらと思うとぞっとします。そんなことを思いました。あと、JR東日本の官僚的な体質を改めて認識しました。東京地下鉄東京都交通局東京急行西武鉄道などの健闘はよかったです。